はるかなる旅程の記録

妊娠・出産・子育ての記録。切迫早産からの自宅安静を経験。

自宅安静の日々 ①仕事のこと

休むとなったら、何から?

いきなりの休暇だったので、事前準備はまったくない状態。そこから、どのような手続きをしたのか、備忘録として。

 

その1 「制度上の休み」の確定

仕事に行けないことは確定したが、産休までの期間は「何休み?」という疑問。事務の方々、管理職と相談の上、以下のようになった。

・残っていた妊娠障害休暇を使い切る

・夏季特別休暇を使い切る

・傷病休暇を申請する

 

約1ヶ月分を、様々な休暇でまかなうことになった。給料は減らないという。福利厚生に感謝。

妊娠障害休暇はつわりのときに3日使い、「残り11日、いざという時にとっとくか」と思ってから使う機会がなく、「もっとつわりの時期に遠慮なく使っておけばよかった」なんて思っていた。ついこの間までは。こんなにしっかり使い切ることになるとは。何があるか分からない。

傷病休暇を取るには病院からの診断書が必要だった。ただ、それは診断の際に病院が用意してくれていて、新たにもらいに行くこともなく申請できた。

 

その2 持っていた仕事の引き継ぎ

個人のみで扱う部分はあれど、基本的にはチームで取り組むので、同じチームの方にありったけのことを共有し、託すことに。

 

・現在の進捗状況(終わっていること、途中までのこと、手をつけていないこと)の共有

・必要な書類の場所の共有

・必要なデータの場所の共有

 

電話やメールでのやり取りはできたので、都度連絡をとって共有したものの、共有後にその仕事を誰がどう扱うかは全ておまかせしたので、1.2日で引き継ぎは終わった。

チームの方にはかなりの負担であることは容易に想像できた。申し訳なさでいっぱいだが、これ以上私にできることはなく、おまかせすることが最上の策であった。

仕事は好きで、やりがいを感じていた。だからこそ、こうもあっさりと自分が何もできない状態になるのは、これまでのことを思って悲しさもある。もう少しこうしたかった、産休までにこれをしたかった、最後まで関わりたかった。その思いをぶつけるのは育児ではなく仕事だ。育休明けまで、この感情を大事に持っておこうと思う。

 

その3 職場にある荷物の運び出し

産休まで1ヶ月以上あり、荷物の整理は全く進んでいなかった。しかし、いつ代わりの人が来てくれてもいいように、荷物は早急に片付けたかった。

当初はやはり自分も行って、あれこれ直接見ながら整理するつもりだった。しかし、自宅安静と言われている以上、安静にせず職場に向かったら、それはそれで同僚の方々は納得がいかないだろうと思いとどまった。

そこで、夫と夫の父にお願いし、とにかく荷物を持ち帰ってもらうことになった。日にちが決まったら、同僚の方々にロッカーの中のものは机に持ってきてもらった。私は机の絵を描き、物の詳細を書き出し、持ち帰ってほしいものをリスト化した。

1時間かけて詰めてもらい、持って帰ってきてもらった。義父は気をつかって、冷凍おかずまでたくさん持ってきてくれた。本当に感謝しかない。

運んでもらった荷物を家で仕分けると、返さなくてはいけないものもあった。これに関しては私がリスト化する際に漏れていたもので、私の落ち度。自分の机の中身をすべては把握していないなと実感した。

 

『仕事』の変化。

こうして、突然の休みに対しての大きな対応は一段落した。細々とした管理職とのやりとりはあるが、完全に私の生活から『仕事』のカテゴリーがなくなった。社会とのつながりが薄れたように感じたり、自分の存在の意味を考えたりもした。

でも、今は、赤ちゃんを一日でも長くお腹の中で守ることが私の仕事。この仕事は私しかできないし、安静にすることと異変に気づいたらすぐ対応することが私のミッション。そう思って過ごしている。