はるかなる旅程の記録

妊娠・出産・子育ての記録。切迫早産からの自宅安静を経験。

生後1ヶ月の記録

里帰りが終わりを迎えた。

これからは夫と子と3人での生活。

 

1ヶ月0週

週末に、車に荷物を載せて、約6時間かけて移動。

授乳やおむつ替えでかなりゆっくり休憩した。

哺乳瓶がぎりぎり。授乳時間を計算しての移動。

 

実両親が夕飯やらを買ってきてくれて、それを食べる。

荷ほどきをわーっとして、なんとか今夜寝られるようにする。

沐浴を卒業し、湯船に入った。私も夫もドキドキ。

もっとスムーズにできるように、お風呂の方法を模索することに。

 

抱っこひもを買いに初めての3人での外出。車に乗せるのもどきどき。お店の授乳室もどきどき。久しぶりにマック食べた。

 

1ヶ月1週

マックを食べた次の日、とんでもない痛みに襲われる。胸にしこり。乳腺炎一歩手前。木曜日で、助産師外来がことごとく定休日。すがるように訪問型助産師外来に電話し、家に来てもらうことに。パンパンに腫れてしまい、マッサージしてもらうも、よくならず。とにかく子に吸ってもらうしかないとのこと。治るまでミルクなし。吸ってもらうしか解決策がないから。

その時思ったこと。痛すぎる。解決策が吸ってもらうしかないなんて、なんで?薬とかないの?しかもミルクなし。私の身体で作る量が足りないから、ミルクとの混合にしてたのに。子はずっとお腹が空くことになる。子に迷惑かけてしまう。

助産師さんからのアドバイス。食事に気をつけること。和食おすすめ。どこまで気をつけるかは、体質だから様子見。治るまで葛根湯を飲む。水分をよく飲む。自分でマッサージしてから授乳する。

 

次の日も治らず、一日中授乳。トイレと自分の食事と子が疲れて寝てしまった時以外は、本当に授乳していた。向きを変えたり、自分で搾ったり、手の当て方を変えたり。何が正解か分からなかったし、いつまで続くか分からなかったし、何より子に申し訳なくて、メンタルがやられた。家事はなんにもできなくて、全部夫がやってくれた。それも申し訳なくて泣いた。陣痛よりよっぽど辛かった。今だから思うが、夫が育休とってくれてなかったら産後鬱まっしぐらだったと思う。

 

1ヶ月後半

【しこりができる→助産師さん呼ぶ→マッサージしてもらう→一日中授乳→2日かけて治る→2日後にまたしこりできる→初めに戻る】みたいなことをしていた記憶しかない。食事を気をつけていても繰り返したので、たぶん体質。助産師さん曰く、乳腺が細いのに母乳を作りすぎてしまうらしい。私の身体、早く”ほどほど”を覚えてほしい。あと、人類はもっと早く、授乳でこんな痛みに苦しまないよう進化しておいてくれ。

子は、そんな感じで一日中食事になってしまう日が多かったが、それでも成長してくれた。ありがとう。私の痛みを吸い取ってくれるし、我が家では子のことを「メシア」と呼ぶようになった。

 

抱っこひもも買ったし、ベビーカーもレンタルしたし、まずは家の近所から開拓。お義母さんが買ってくれたダウンを着て、日中は少しの時間散歩。子は拘束されるのが苦手で、抱っこひももベビーカーもぐずぐずだが、しばらく散歩していると寝てしまう。揺れが気持ちいいみたい。

私は産後の体力低下で10分の散歩も、ぜーはー。リハビリもかねての散歩。1回自転車に乗ったが、会陰が痛くなり怖くなる。歩くのも自転車に乗るのもしんどい。車で出かけるのが楽。だけど子と離れる時間が増えると乳腺炎の恐怖でそわそわするし、かといって子を長時間外に連れ出すのも怖い。そんなこんなで結局、外出許可の出た生後1ヶ月も、けっこう家に引きこもっていた。

 

できるようになったこと

・にこぉと笑うようになった(ただし一瞬なので、動画に収めるのが難しい!)

・プーメリーを目で追うようになった

・拳を見つめるようになった

・拳を舐めるようになった

・ぎゅっと何かを掴めるようになった

・両足を高くあげるようになった

逆にしなくなったこと

・ミルク後の手のヒラヒラ。おいしいを表現するダンスみたいな。生まれてからずっと、ミルク後にしていたが、おいしさへの感動が薄れたのか、しなくなった。

・お風呂上がりに、服をぎゅっと掴むこと。水から上がって体を拭くまでの時間、怖いのか手当り次第布を掴む。私の服をぎゅっと掴むの、かわいかったけれど、それも慣れたのかしなくなった。