はるかなる旅程の記録

妊娠・出産・子育ての記録。切迫早産からの自宅安静を経験。

出産後の入院中の記録

今更ながら、産まれてからのことをぽちぽちと。忘れかけていることもたくさん。これからはこまめに書き記したい。まずは入院中のこと。

 

0日目

20時ごろ出産。

23時ごろ病室へ移動。

寝ようとするがハイになりうまく寝れず。

赤ちゃんは預かってもらう。

 

1日目

診察があってシャワーの許可がおりる。

お腹が全然へこんでなくてびびる。

産褥パッドが大きすぎて歩きにくい。

手すりにつかまってじゃないとフラフラで歩けない。

でも赤ちゃんに会いたくて歩く。

午後面会(15分のみ)で昨日ぶりに夫・実母・実父と会う(そして退院まで面会なし)。もっと面会したかった。コロナど真ん中の人よりはマシなんだろうけど。

 

2日目

授乳が難しすぎる。ふにゃふにゃの首を掴むのも怖い。出ない。助産師さんのマッサージ痛い。でも周りみんな何かしら苦戦していて、自分だけじゃないんだと思った。

お子は飲んだあとに手をひらひらしてかわいい。満足を小さい身体で表現してくれる。

ミルクを足すことになった。

直母の時は補助具を使うことになった。

身体中痛い。カロナールをもらって飲む。

座ると激痛。横になってから身体を起こすのも激痛。ぼろぼろの身体だなと思った。

お子を見ると、無事に生まれてくれてよかったなぁと涙がすぐ出る。ホルモンもぐちゃぐちゃ。産後はそうなると分かっていても、びっくりした。

 

3日目

見たことないほど足が浮腫む。まるではんぺん。

授乳が上手くできなすぎて病む。

搾乳の方法を教えてもらおうとするも、助産師さんが忙しすぎて真夜中の授乳室に2時間いることになる。

お子は黄疸気味で起きている時間が少ない。泣くことさえ少ない。寝てばっかり。

私はもろもろ重なりメンタルが落ちる。

 

4日目

補助具あってもなかなか吸えず。

スパルタ系の助産師さんに付いてもらい、授乳の体勢やら搾乳の方法やら1から叩き込んでもらった。少しできるようになって気持ちを盛り返す。

黄疸気味は相変わらずで、水分不足にならないように無理やり起こしてミルク。

形成外科の診察があり、コットにお子を入れたまま総合病院を歩く。みんなお子を見る。久しぶりにたくさんの人がいるところを歩いて、緊張した。

お祝い膳を食べる。次の授乳がせまっていて、急いでかき込んだ。

 

5日目

退院の日。黄疸の検査もクリア。

用意した白い服を着せてみた。病院で用意された服以外のものを身につけるのが初めてで、新鮮だった。

久しぶりに外に出たら、急に秋めいていた。初めての「肌寒い」の体験をしたお子は、身体をぎゅっとして小さくなっていた。

チャイルドシートが大きすぎる。頭ぐわんぐわん。バスタオルを挟んで、なんとか家まで。

入院中あって良かったもの

着圧ソックス

→あった方がいいと聞いて持っていったが、2日目までいらなかったなと思っていた。3日目に急に人生初のレベルでむくんだ。着圧ソックスが簡単に入らないくらいになったので、最初からしていればよかった。でも、おかげでその後はむくみが悪化せずに過ごせた。

 

肩がけミニカバン

→病衣にポケットがなく、重宝した。身体がフラフラなので、両手が空くの大事。

 

蒸気でホットアイマス

→寝れる時に寝るという生活になり、昼間でも少し寝たい時につけると寝ることができた。夜中に眠れなくなった時も助かった。

 

 

臨月の記録

臨月は、前半は「お腹にいて」と言い続け、後半は「そろそろ出てきていいよ」と言い続け、赤ちゃんはさぞ混乱しただろうなと思う。

 

36週

退院できたものの、正期産となる37週まではお腹にいてほしいと思い、病院と同じレベルの安静度で過ごす。さらに、夫がコロナにかかり、今出産となると立ち会いは100パーセント不可能なので、それもあって、「あと1週間はお腹にいて!」と言い聞かせた。

 

37週

ついにいつ産まれてもよい時期に。家事を再開。臨月は胎動が落ち着くと聞いていたが、肋骨をものすごい力で蹴られたりする。お腹のかゆみがしんどい。

 

38週

動けないほどの腰痛があったが、1日で回復。散歩を始める。20分歩くだけで疲れる。

 

38週6日(健診日)

内診され、「出る気がないよ!もっと動いて!」と言われる。予定日まであと1週間なのに!? その日から本格的に散歩開始。安静にしすぎたと反省。

 

39週

散歩を1-2時間。1週間でかなり体力がついた。マタニティヨガをやってみたら、体幹レーニングのような感じで、想像よりきつかった。会陰マッサージはよく分からなかった。歩けど動けど予兆なし。お腹の中にいてと言い過ぎたかなと思い始める。

このころ、ようやく出産関係の動画を観る。36週から動けとどの動画でも言っていて焦る。しかし、予定日の前後5週間は正期産だという事実や、実際に予定日を過ぎて出産している人の存在で、心を落ち着かせていた。

 

39週5日(健診日)

気づかないうちにお腹は張っているらしい。痛みがついてきたら陣痛になるけど、もっと動いておこうと言われる。次回の予約は予定日超過1日目。それまでに予兆だけでもあるといいなと思う。

 

40週0日(予定日)

予兆なしで迎える。寝返りが打てないことで首を痛めたらしく、散歩でのお腹の張りよりも首の痛みが勝る。湿布を使えないため、冷えピタを貼ってごまかす。

 

40週1日(健診日)

「張っているけれど痛みがないね~」と言われる。このまま生まれなかったら三連休明けに健診とのこと。午後はお気に入りのカフェに行き、店主さんに「予定日過ぎちゃいました~」と話す。カフェから帰ってくると、友人からプレゼントが届き、感動する。その日の夜、夫と電話していると、お腹の張りに合わせて、話せなくなるほどの痛みを感じる。次の日から三連休で、渋滞が予想されるので、いざ陣痛が始まってもすぐに来れないのではということになり、急遽移動手段を検討する。夫は始発の高速バスで向かうことになる。陣痛ではなく前駆陣痛かもと思いつつも、これまで全く予兆がなかったので、赤ちゃんにいよいよ会えるんだと期待が高まる。

 

出産の記録に続く。

 

出産の記録

予定日を2日超えて産まれました。あんなに壮絶な一日だったのに、記憶というものは恐ろしく、どんどん忘れてしまうので、今覚えている限りを書きます。4000字を超えてしまった…。まとまりはないです。

10/6(40週1日)

23時

それまで全く兆候がなかったが、初めて「陣痛」を理解。お腹の張りとともに痛みがあり、痛い間は喋れない。続くので陣痛カウンターをしてみる。痛みは10分間隔を切る。痛みの持続時間も40秒はある。これが続けば陣痛、なくなれば前駆陣痛。前駆陣痛なら寝られると聞いていたので、横になって痛みに耐えてみる。


10/7(40週2日)

2時

間隔が10分を切ったまま2時間以上経ったので、前駆陣痛ではなく本陣痛ではないかと思い、病院に連絡。しかし、間隔と継続時間にバラツキがあるので、もう少し様子を見るよう言われる。

3時

間隔が5分を切るので再度連絡。来ていいよとのこと。入院の準備までして病院へ。しかし、着いた瞬間の内診で子宮口1cmとのことで、即帰宅が決定。「こんなに間隔狭くてもだめ?」と泣きそうになる。助産師さんに「本陣痛はこんなもんじゃないよ〜」と明るく帰される。(今思えばこの時帰って実家で過ごせてよかった。でもその時は絶望。)(なお、休日かつ夜間の10割負担の診察なので、この時の診察代金にのちのち驚くことになる。出産関係は保険外で10割負担というのは、かなり大きい…。でも病院に行かずに耐えられる痛みではなかった。)

4時

帰宅して、「もうカウンターなんか意味ないじゃん!」と拗ねてカウントをやめる。(やめてよかった。じゃなきゃ寝れなかったかも。) 寝ないと持たないと聞いていたし、自分でもそう思ったので、陣痛の合間にうつらうつら寝る。痛くなったら隣にいてくれた母が腰をさすってくれた。


7時

朝になっても陣痛あり。前駆陣痛じゃないと確信。お腹は空いているが、食べると吐きそうになる。なんとかみそ汁を飲んだり、バナナを食べたりする。陣痛のたびに母を呼ぶ。腰をさすってもらわないとやっていけない。

8時

県外にいる夫が向かっているが、三連休で渋滞にはまり、時間が読めない。陣痛のカウントを母がしてくれるようになり、5分間隔をうろうろするが、病院に行くのはせめて夫に会ってからと粘る。しかし到着予定時刻はどんどん延びる。

10時

おしるしが出る。それまでまったくなかったので、やっと子宮口が反応したのだと思うと嬉しいやら悲しいやら。うっすらなので、まだ病院に行く気になれず。夫を待ちつつ陣痛に耐える。

11時

トイレで血の塊が出る。また、ずっと何かが流れている感覚はあるが、おりもののようなものが出るだけ。破水を疑うが、確信持てず。陣痛の合間にトイレを済ますのがきつくなる。四つん這いの姿勢で腰を押してもらうのが楽だった。

12時

お昼にうどんを少し食べる。夫がもう少しで来そう。ひたすら耐える。病院の規定で、陣痛室には付き添い者は入れない。かつ、休日で人が居ないだろうから陣痛を1人で耐える可能性あり。陣痛を1人で耐えられる気がせず、ぎりっぎりまで実家にいようと考え出す。

13時

夫到着。陣痛中、腰を押してもらう。陣痛の合間も腰をさすってもらう。4分間隔くらい。しかし間隔どうこうより、痛みのレベルが夜より確実に上がっている。この時点でも血混じりのおりものが続く。これが破水だった時の感染が怖かったのと、もう電話もやっとの状況だったので、再度病院に連絡。来るように言われる。車に乗るが、もう座れない。夜中に病院に向かう時とは違って、今どこにいるかも分からず、ひたすら痛みに耐える。

14時

内診の結果、子宮口4cmかつ一部分破水とのことで入院決定。陣痛室はやはり1人にされ、NSTもあって四つん這いになれず。横向きで陣痛に耐えていたら、パンっと大量破水。パニックになりナースコール連打。ここから進みが早い。陣痛の間隔が狭まり、痛みも強くなる。


〜ここから時間あやふや〜

とにかくおしりを押さえてもらわないと陣痛に耐えられない。助産師さんにテニスボールで押してもらう。この日はお産が重なっていて、助産師さんがかなり忙しそうだった。助産師さんが席を外してしまうと大パニック。ナースコール連打。「おしり押さえて!!!」と叫ぶ。(なお、それでも来れない時もあり、1人でおしりを押さえて耐える。)


助産師さんに「とにかく息を吐いて!」と言われるが、声付きでないと吐けない。静かなお産は幻想。痛みが弱まった時も全力で声を出してしまうので、「疲れちゃうよ、そんなに声出さなくていいよ、落ち着いて」と諭される。毎回、諭されてやっと、声のボリュームを下げることができる。


17時ごろに子宮口8cmと言われる。この時間が体感1番長かった。陣痛の合間に意識を失うような感じで寝ていた気がする。ひとたび痛みの波が来ると、全部出る感覚。出したすぎて身体に力が入る。助産師さんに「おしり押して!!!!」と叫び倒す。甘いもの食べてと言われてチョコを口に入れるが、飲み込むまでに次の陣痛がきて、口の中がチョコまみれのまま叫び倒す。


トイレに行こうとするが道中で陣痛。内診で仰向けになってる時に陣痛。分娩室へ移動中に陣痛。これらは助産師さんがテニスボール当ててくれなくて、パニックになる。「息吐いて!大丈夫だから!」と言われる。「無理無理無理!」と思いつつ、それを言葉にする余裕もない。叫びながら息を吐く。

 


18時ごろ

分娩室に移動。夫を呼ぶよう言われ、電話する。(なお、後から夫に聞くと、もう言葉になっておらず、とにかく病院に来てくれということしか分からなかったらしい。)

夫が来る。助産師さんが点滴の準備をしている間、夫がテニスボール係となるが、全然弱くて叫びながら指導。「押して!」と叫ぶ。もう本当に耐えれない!!!となる。

あるタイミングで、いきんでいいと言われる。突然今までの数時間と真逆の指示でパニック。感覚が掴めない。仰向け、四つん這い、横向きを経て、1時間経つ。いきむ時に声を出すなと言われる。進み具合を逐一聞くが、思ったより進んでなくて毎回絶望する。でも助産師さんは順調だと言う。


19時ごろ?

再度仰向けに変更。サンシャイン池崎を思い出して、のけぞりたくなる衝動を押さえてお腹を見る。ベッドの柵を壊しそうな力で握る。仰向けになってから、赤ちゃんが骨盤にはまるのが分かるようになる。息が続かず、少し出して引っ込めてたくさん休憩、を繰り返す。助産師さんに言われたことをするので精一杯。(なお、助産師さんや夫には、この時冷静だったと言われる。自分としては、指示以外のことをする余裕がなかっただけ。)


20時近く

最後だけ、「休憩なしでいけそう!」と思って、赤ちゃんが戻る前にまたいきむ。(助産師さんは「休憩していいよ!」と言っていたらしい。が、その言葉を聞いた記憶がない…。)お股めちゃくちゃ痛い、裂ける感覚あり。でも「もう出そう!」と思ってなりふりかまわずいきむ。助産師さんに「もういきまないで!力抜いて!」と言われて、またパニック。ずるんという感覚があって、誕生!

姿を見て、産声を聞いて、安心する。胎動の感じと同じく、手足バタバタしていてかわいい。赤ちゃんの姿を見ても、どうやって私の身体から出てきたのか分からない。「本当に私が産んだのか?」という不思議な感覚。分娩台の上でふわふわしていた。泣くのかなと思っていたけれど、そんな感じだったので泣かず。生まれたんだ…とひたすら信じられない気持ちだった。

その後、けっこう縫われる。痛くて何度も麻酔を足してもらう。

 

検査や写真撮影や休憩含めて、23時ごろまで分娩室にいる。起き上がると思ったよりふらふら。

 

出産を終えて思ったこと

・陣痛に耐える時間は、家での十何時間より、病院の数時間の方が長く感じた。本陣痛に比べれば初期の陣痛なんて…というのは、経験したから思えたことであって、どの時間も「今まででいちばん痛い!これ以上があるの!?」と思っていた。実家にぎりぎりまでいれたのはよかった。1人で耐えるのは想像できない。

・予定日の1週間前からやっと出産関連の動画を見る気になる。それまで怖くて見る気になれなかった。結果、見ておいてよかった。痛い中でも、頭のどこかで冷静になれた。それでも叫んでしまったけれど、「赤ちゃんに酸素を送らねば!」ということだけは考えられた。

・初産婦は子宮口が1時間に1cm、全開から1-2時間で出産が平均だと聞いていたので、14時に子宮口4cmと知り、「20時に全開で22時には出産だ!」と勝手にスケジュールを立てた。絶対に今日中に産むという気持ち。結果的に破水もあって18時には全開。でも体力はギリギリ。

・いきむのが難しかった。陣痛に耐えるよりいきむほうがしんどかった。筋肉不足か体力不足か。予想よりも子宮口全開までかなり順調だった分、そこから出産までは長くて、焦りもあった。助産師さんに褒められても半信半疑。

・とはいえ、助産師さんにたくさん励ましてもらえて頑張れた。助産師さんなしで出産は無理。妊婦1人につき1人、ずーっと付いていてほしい。平日だったらまた違ったのかな。

・夫がいてくれて安心した。記憶はあやふやだけど、ずっと励ましてくれていたと思う。産前産後の恨みは一生とよく聞くが、同じくらい産前産後の感謝も一生だと思う。1人じゃないから、頑張れた。

・無痛分娩ができない病院だったこともあり、経験しておこうという気持ちで自然分娩に望んだが、次があるなら絶対に無痛がいい。と出産後に強く思ったにもかかわらず、産後二週間の時点で陣痛の痛みがだんだん分からなくなって困惑している。とにかく痛かった、おしり押さえてと叫びまくった、それは覚えているが…。痛みを忘れるようにできているとは聞いていたが、本当に分からなくなってしまった。

・全お母さんを尊敬する。帝王切開だって無痛だってどんな形であれ出産は身体にめちゃくちゃ負担がかかるし、それまでの妊娠期間もいろんな不安がある。出産について知るほどに、母子ともに健康で出産できることがどれだけすごいか、痛感した。

 

妊娠中の体調~後期~

妊娠後期(7月中旬~)の体調

7月中旬~

  • 胎動が激しすぎて、痛い
  • 食後に吐き気を覚えることがしばしば
  • 冷房を入れていても、朝にはほてりで汗びっしょり
  • 予定より早く里帰りすることになり、かつ安静に過ごす日々で、メンタルの方が重症

8月中旬~

  • 円靭帯痛と思われる下腹部の痛みに毎回ひやひやする
  • 呼吸が浅くなり、マスクして歩くと苦しい
  • あせものような湿疹がお腹にできてとにかくかゆい
  • 胎動で肋骨を蹴られるようになり、肋間神経痛を感じるように
  • 少しの家事や散歩が解禁され、気分転換ができるようになる

9月上旬(臨月)~

  • 規則的な張りが出てしまい人生初の入院を体験(すぐ退院できた)
  • ついに寝返りができない。同じ姿勢でしびれるまで寝る
  • 夜中に何回も起きるように
  • 肌が敏感になり、あらゆる服のタグや縫い目がかゆい

 

してよかったこと・してもらって嬉しかったこと

  • 予定より早く里帰りすることになったことで気持ちが落ち着かなかったが、日々やることを決めてちまちま取り組むことで、「今日は○○ができた」と自己肯定感をなんとか保てた。寝ながらできることとして取り組んだのは、ブログや刺繍、資格の勉強(これは途中で挫折)、読書など。出産後に必要なものを買ったり、手続きや制度について調べたりすることにも時間を使った。
  • 早産にならない「36週」の壁、正期産と言われる「37週」を意識するあまり、身体よりもメンタルの不調が多かった。検索をしすぎて夜寝られない日もあった。やめようと思ってもやめられないので、あきらめて満足するまで検索し、眠くなるのを待った。
  • 家事が許可されると、洗濯物を入れたり、食事の準備を手伝ったり、買い物へ一緒に行ったりした。家の中での役回りが安定すると、精神も安定した。
  • 休みの期間を使って、夫が何日か実家に滞在した。普段はLINE通話でしか話せないので、直接会えた時間はその後の実家生活の支えとなった。
  • 母が、必要そうなものをあれこれ買いそろえてくれた。安静生活で買い物に行けない私の代わりに、服などを買ってきてくれた。親に服を買ってもらうのは中学生以来かもしれない。だいぶ甘えさせてもらっていると実感した。
  • お盆休みに地元の友達に会えた。外出も友達に会うのも久しぶりだったので、本当に楽しかった。妊娠期間を通じて、人と会うことが自分の気持ちをこんなにも満たしてくれるのだということを知った。
  • 後期になっても体調が万全な日はないが、万全でない自分にだいぶ慣れてきた。とにかくゆっくり動き、無理をしないことが染みついてきた。

 

妊娠中の体調~中期~

妊娠中期(4月中旬~7月上旬)の体調

4月中旬~5月中旬

  • 吐き気がおさまり、食べられるものが増える
  • 食べる量はあいかわらず増えず、食事の回数を分ける
  • ズボンは不快で履いていられなくなり、職場の服もワンピースに
  • 体力が落ちていて、少しのことで疲れる
  • 動きすぎるとお腹が張る
  • 胎動らしきものを感じる

5月中旬~6月中旬

  • 一番調子が良い時期だった
  • 電車で1時間の移動して、友達と食事ができた
  • 電車で立っているのは体力的にしんどかった
  • とにかくお手洗いが近くなり、1時間が限界、2時間は無理
  • 階段移動がとにかく遅く、忘れ物をして往復することになると絶望
  • ようやくお腹が大きくなったと分かるように
  • 食後の眠気がひどく、休憩スペースで横になることが増えた
  • 抱き枕を使って寝るのがとても快適
  • 胎動がハッキリわかるようになり、膀胱を蹴られるとしんどい

6月中旬~7月上旬

  • 胃腸の調子を崩す
  • 6月末にお腹が頻繁に張ってしまい、切迫早産の診断を受ける
  • トイレが近く、トイレを我慢すると張る
  • 座ったり立ったりし続けると張る
  • 寝たきり生活になり、どちらかというとメンタルがやられた
  • 薬の副作用か、ほてりで汗をめちゃくちゃかく

 

してよかったこと・してもらって嬉しかったこと

  • マタニティマークをつけて外出するようになったら、バスや電車で席を譲ってくれる方に出逢えた。譲ってくれた方のこと絶対忘れない。めちゃくちゃ助かったし、とても嬉しかった。あと、優先席に座っていた人がマークを見て急に寝たふり始めたことも衝撃が大きくて忘れない。(その人も具合悪かったのかもしれないけど。) 世の中いろんな人がいるんだなと思った。
  • この時期に引っ越しをした。つわりの時期に被らなくてよかったが、無理をしてしまい、お腹が張った。夫に止められたのに、楽しくなって、振り切って動いてしまった。その後、病院の先生に怒られた。この歳でちゃんと怒られたので、けっこう反省した。怒ってくれる人がいるのはありがたい。
  • 元気なうちに友達に会えたのは、本当によかった。つわりの時に落ちたメンタルが回復した。直接報告できてよかった。
  • 年度が変わって、仕事の分担も変わった。かなり配慮してもらい、定時に帰ることができるようになった。(定時で帰れなかったのもおかしな話だけど。)
  • 安定期に入ったことで、職場で妊娠の報告ができ、いろんなアドバイスをもらえた。経験者の話は貴重だった。制度がたくさんあることも教えてくれた。
  • ズボンが苦しくなり、出産後も使える服をこの時期にまとめて買った。ワンピースはあんまり持っていなかったけれど、妊娠生活にはとても向いていた。
  • SNSで便利グッズの情報を集めて、必要以上に買わないようにしながらも、心身の健康によさそうなものはそろえた。小魚のおやつを常備するようになった。

 

妊娠中の体調~初期~

妊娠中の体調と対策

体調が万全な時期がないなんて、妊娠前は知らなかった…。「つわり」がこんなに個人差があるなんて知らなかった…。そして、マイナートラブルが次々と現れ、自分でも「あの時なにに苦しんでいたのか」を忘れてしまっていることに気づき、思い出せる範囲で記録しておこうと思った。

個人差も大きく、対策も人によって違う。ほんの一例だということは先に記しておく。

 

妊娠初期(1月終わり~4月上旬)の体調

1月末~2月中旬

  • 妊娠検査薬で陽性の線が見えたころには、すでにうっすらとした吐き気
  • 気持ち悪さで、白米が苦手になる。パンの方がまし
  • 37.0℃前後の微熱が続き、だるい(普段は36.5℃)
  • 服の締め付けが気持ち悪く、ズボンはボタンをはずしていた
  • 夕方から朝まで絶不調だが、昼間はなんとか乗り切る

2月中旬~3月末

  • 吐き気がグレードアップ、食べられるものが限られる
  • 安定して食べれたのは、トマト・いちご・インゼリー・豆腐・ヨーグルト・そうめん・水菜・ほうれんそうなど、冷たくて後味が残りにくいもの
  • 衝動的にソース味が食べたくなり、たこ焼きを買った日もあった
  • 衝動的にマックのポテトが食べたくなりLサイズを1人で食べた日もあった
  • 食べなくても気持ち悪いし食べても気持ち悪い
  • 昼食後、職場の休憩スペースで横にならないとやっていけない
  • 夕方以降は布団から出れない
  • お風呂もつらくて、何回か入れずにボディーシートでしのいで出勤
  • 1~2週間に1回、本当に起き上がれなくて仕事を休んだ
  • 匂いがよく分かるようになる、特殊能力を得た気分
  • ご飯の炊ける匂いや夫の匂いは平気だった
  • 絶不調のとき、夫が豚肉を焼く匂いで、めまいするほどの吐き気
  • いよいよ服の締め付けがいやになり、マタニティパンツ・マタニティブラを購入
  • 花粉症だが薬が飲めず、眼鏡生活・ティッシュ大量消費

3月末~4月上旬

  • 急に吐き気がなくなる日が来た
  • 胃が小さくなっていて、急な食欲に対応できずお腹を壊す
  • 微熱は続いている
  • 低気圧による頭痛・吐き気と見分けがつかない

 

してよかったこと・してもらって嬉しかったこと

  • 食べられるものを食べればいいというマインド。栄養云々は二の次。水分さえとっていればいいという先生の言葉を信じて、無理をしなかった。
  • ダメなときは休む。仕事の時期として午後から帰りやすかったので、最低限のことをしたら帰っていた。昼食後も休憩スペースを使わせてもらって横になった。朝からダメなときは思い切って休んだ。申し訳なかったけど、その時の限界だったし、無理するほど悪化したので、休むのが周りのためと思ってすぐ休んだ。
  • 服の締め付けはマタニティ用のものを使うことで劇的に改善した。購入前は、一時期しか使わないからと、ためらいがあった。しかし、あまりに快適なので、我慢するくらいなら買っていこうという気持ちになった。
  • 夕方以降はベッドから動けなかった。家事もできず、まともに風呂にも入れず、寝るかスマホをいじるかしかできなかった。夫が一度もそのことに対して不満を見せず、常に心配してくれたのがありがたかった。
  • 「つわり いつまで」を何度も検索した。そこで初めて知ったが、妊娠期間ずっとの人もいたし、つわりがない人もいた。終わりが見えないのがつらく、何度も弱音を吐いた。安定期ではないことでこの不安を話せるのは夫くらいだったが、何度同じ話をしても聞いてくれたので助かった。
  • 職場の理解・職場の制度にも助けられた。かかわりの深い一部の人には安定期前に伝え、早退が多くなることを理解してもらった。つわりでの休みは有給消化ではなく、「妊娠障害休暇(14日)」が使えた。使ったのは3日だったが、つわりで休むことが認められているのがありがたかった。

 

 

 

 

 

36週0日 退院

早く退院したいけど

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朝ごはんを食べつつ、今日退院できるか、できるならいつなのかということをぼーっと考えた。NSTと内診があるとなると、午前中は難しそう。退院するにしても、迎えに来てもらえるのは親の仕事の都合で16時ごろになりそう。早く退院したい気持ちが昨日より強くなった。

 

NST

10時ごろに張りの状態を見るための検査。私としてはもう張りはなく、胎動が激しいな〜と思っていた。

が、検査後に「2回ほど張ってますね〜」と言われ、びっくり。最初に切迫早産と言われた時もそうだが、張っていても私は気づいていないらしい…。「気づかなかったです…」と正直に言うと、30週ごろならまずいが、今の週数ならよいとのこと。ただし、痛みがあったり、あきらかに頻度が高かったりしたら、連絡してねとのこと。

痛みはなかったので、一安心。一方で、張りに気づかない怖さを、再確認。

 

内診

次は内診。子宮頸管長は27mmで保たれていた。張りの間隔も落ち着いていて、退院決定。

「張った原因に心当たりありますか?」と聞かれ、「その日は健診で、2時間病院にいたので…」と答えたら、「待ち時間長いですもんね…」と申し訳なさそうに返された。実際、もう少し短いと助かるけど、まぁイレギュラー対応が多いと思うし、仕方ない。私も、張りやすいと思っていたんだから、横になって待たせてもらえるように言えばよかったな。

とにかく、37週までは自宅安静とのこと。無理をしない。病院と同じ過ごし方をする。入院の日と同じような頻繁な張りや痛みが出たらすぐ連絡をする。今の私にできることは安静なんだなと改めて噛み締めた。

 

退院待ち

午後に親に迎えに来てもらうことになり、お昼は病院で食べることに。

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苦手なしいたけが入った五目ごはんだったが、退院楽しみパワーで完食。いそいそと退院準備。準備が終わると満腹感で眠気に襲われた。油断していると、事務の方が入院費の説明をしに来てくれた。1週間以内に再入院になると計算が変わるので、1週間経ったら請求するとのこと。たしかに、明日にでも戻ってくるかもしれないもんな…。了解しましたと伝える。またうつらうつらしていると、退院の準備として看護師さんが荷物チェックやタグ外しなどをしに来てくれた。

 

いざ退院

受診の時のリュックと、陣痛バッグと入院バッグ、3つも荷物があったので、カートで運んでもらった。駐車場まで歩くつもりでいたが、いざ歩くと張りそうな感覚。加えて、数日間24℃のクーラーが効いた空間にいたことで、外が想像より暑いことに驚く。横になりっぱなしで体力も低下。玄関に車を横付けしてもらった。

 

念願の帰宅

周りを気にせず横になって過ごせる空間に戻ってこれたことがとても嬉しかった。しかし、階段を登って部屋に着くと、もう動けない。病院ではあんなに張りがおさまったと思ったのに、張りそうな予感が復活してしまった。

また入院となったら悲しい。とにかく安静。入院前は自宅安静が緩和されて、洗濯物を畳んだり、食事の用意を手伝ったり、短時間の散歩もしたり、少し動けるようになっていたが、逆戻り。ひたすら横になる。極力歩かない立たない座らない。25週で診断された時はこの安静生活はしんどかったが、今回はあと1週間だと思えたので、むしろやる気に満ちていた。

ただし、気持ちがあっても張る時は張る。お腹に向かって、「まだだよ〜、もう少しいて〜」と言うしかない。

 

夫がコロナ陽性に

退院できたのでゆっくり夫と電話できると思っていたら、「熱ありそうで今から病院に行く」との連絡が入った。その後、陽性でコロナ確定。当たり前だが、コロナにかかっているうちは立ち会いできない。ますます「あと1週間はお腹にいて〜」と子に言い聞かせることになった。

 

退院できたからといって安心できるわけではない状況。それでも、無意識にいろんな音を集めて聞いて疲れるという環境ではなくなったことがありがたかった。夕飯を食べ、早々に横になり、眠った。