はるかなる旅程の記録

妊娠・出産・子育ての記録。切迫早産からの自宅安静を経験。

切迫早産の診断、自宅安静に。〜診断編〜

頻繁に張るお腹を抱えて。

朝、いつもと同じ時間に目が覚め、朝食を食べる。ここまで違和感はなく、「もしかしたら普通に仕事に行けたのでは…?」という思いも生まれる。

夫を見送り、職場に通院の連絡をし、病院に朝一で受診することを伝える。午後には仕事に行けるだろうと、出勤の準備もした上で病院へ向かう。

車で10分の病院。朝だから少し混んでいるものの、すぐ着く距離。その距離で、運転中にまたお腹の張りを感じた。ぐーっと子宮が握られるような痛み。かちこちになったお腹。職場は車で45分はかかるので、「こんな様子じゃ、やはり出勤しても不安だったかも…」と思い始める。

 

診察待ちをしながら。

予約外の診察なので、いつ呼ばれるか分からない。2時間は待つかもしれないなと思って座っていた。張りが怖くてお手洗いが近くなり、お手洗いにすぐ行ける席を確保。

1時間ほどで呼ばれ、エコーで心拍を確認。ひとまずほっとする。内診で子宮頚管長も検査。

「あとは、お腹の張りを調べますね」と言われ、お腹に機械が取り付けられた。(NSTという検査だとのちのち知る)

この検査で、仰向けの状態になると、30分後には自分でもわかるほどの張りが何度も。しかも、驚いたのは、

「あ、今張ってますね〜」

の声がけの際に、自分では張っていると思っていなかった。

(今まで、自分で気づかない張りがたくさんあったのでは…)と、このあたりから嫌な予感を抱えた。

 

淡々とした、明確な事実。

次に呼ばれた時は、先生が話し出すのを一瞬ためらった。それで少し、覚悟が持てたかもしれない。

「切迫早産ですね。診断書を書くので、仕事は休んで、自宅安静をしてください」

あわよくば、「切迫早産になりかけだから、気をつけて生活してください」で済まないかなと思っていた。あ、確定なんだ…。思考が一度止まる。

「休むというのは、一週間くらいですか?」

「いや、このまま産休までで、復帰はないと思ってください。」

二度目の衝撃。喫緊の業務は?引き継ぎは?荷物は?挨拶は?なんとか数日でも行けないか…?

私の頭が追いつかないまま、先生の話は続く。

状況が悪化すれば入院となること。

里帰りを予定しているならその予定を前倒しした方がよいこと。

もちろんこれ以上悪化したら里帰りも断念せざるをえないこと。

紹介状はいつでも書くから、里帰りを早められるか確認すること。

…混乱する頭の片隅で、今後することをメモした。

 

現実だと受け止めるまで。

診断後は、薬が効くか見るため、服薬してもう一度NSTをすることに。病院のベッドで横になる。横になったまま電話してよいと言われた。

職場に電話。とにかく休んでと言われるが、産休まで行けないと伝えると驚きも透けて見えた。

夫に連絡。電話できることに。必死に頭でメモしたことは伝える。

一通り連絡すると、ずしりと、「切迫早産」「自宅安静」が現実のものとして感じられるようになった。どうしても、その時の私は「仕事、どうしよう」の思いが強かった。どれだけの迷惑をかけるか、どうすればいいのか、それで頭がいっぱいだった

 

「休む」ことを受け入れるまで。

薬が効き、張りも収まり、先生がベッドの近くまで様子を見に来てくれた。

「自宅安静って、どこまでしたらいいですか?」

「なるべく横になってて。重たいものを持たない買い物や、少しの料理はいいけれど、できる限りやらないで。」

「職場に荷物を取りに行くのはまずいですか?」

「張りがおさまったら考えてもいいけれど…」

こんなやり取りの最中の、後ろに立っている看護師さんの表情が多弁だった。何か言いたそうな表情だった。

先生が出ていったあと、その看護師さんが残って、部屋を出る準備を手伝ってくれた。

思わず

「どうしても仕事のことが気になっちゃって…優先すべきなのは赤ちゃんだって分かってるんですけど…」

と、もらしてしまった。

「仕事をしている身としてよく分かりますよ。私も明日から来れないとなったら、困りますもん。でもね、今の先生は少し甘いけど、院長先生はよく言うんですよ、『お腹の赤ちゃんを守れるのはお母さんだけですよ』って。少しの家事だって、なんだかんだ大変ですよね。しっかり休んだ方がいいですよ。」

その看護師さんの言葉で、涙腺が崩壊した。仕事も大切で、気になることを肯定してくれた。それでもなお、赤ちゃんのために休むことを肯定してくれた。この言葉で、私はやっと、「今すべきことは休むこと」と思えた。

 

病院を出たのは午後1時。予約外の私のために4時間を使ってくれた。空腹を感じつつ、家に帰ることにした。